短編でひといき

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zoom RSS 微笑み

<<   作成日時 : 2007/10/09 21:52   >>

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Tは寝床の中で今日のことを振り返っていた。
外回りから社へ戻って営業部のドアを開いたシーンが頭に浮かんだ。
行く先々すべてが空振りに終わったから開こうとするドアが重かった。
ドアに取り付けられたチャイムの音で中の社員がいっせいにこちらを見る。
「ただいま」の声に大きな「オツカレサマー」の声が応える。
通る声つぶやくような声いつもと同じ聴き慣れた混声合唱だ。

何かひっかかるものがある。
もう一度いまふりかえった光景を巻き戻す。
営業部の曇りガラス入りのドアを開く。
遠くの席でこちらをみてニッコリ微笑む姿を捉える。
まわりがぼやけてY子の姿だけが浮かび上がる。
音が消えて微笑む顔だけが目の前にある。

あの微笑みでホッとするんだ。
社に戻ったときに感じるのはあの微笑みだったんだ。
子供のころ学校から帰ってこちらを向いた母の微笑みと同じだ。
Y子は1ヶ月ほど前に転職してきた子だ。
それにしてもいい笑顔だ。
あまり話したことが無かったと意外に思う。

次の日宣伝部のSと退社後に居酒屋で合流した。
同期入社のSとは月に何度かの息抜きの場だ。
営業はどうだと問うSにTはY子の微笑みで救われる話をした。
Sはいつものような茶々も入れず熱心にTが語るのを聞いた。
Sがその話は貰っていいかと言った。
TがいぶかるとSはいま思いついたことだと断わってこんな話をした。

秋のキャンペーンの仕事を抱えている。
新製品売り込みの方向性に毎日苦悶している。
今の話で『微笑み』というキーワードが形作られてきた。
Y子については顔も名前も知らないが一度見てみたいと言った。
Sは営業部でのY子の席の位置を図で描いてもらった。
そのあとSは半分は上の空でお開きになった。

翌日外回りをしているTの携帯が鳴った。
Sが何時に戻るつもりか聞いてきた。
それなら営業部に戻る前に宣伝部に寄って欲しいという。
Tが言われた通りSのところ行き一緒に営業部に向かった。
Tがドアを開けすぐ後ろからSが続いて入った。
SはTの話がイメージ通りだったことを認めた。

Sは会議でコマーシャルのプレゼンをした。
企画は通り大手広告代理店にまわされた。
「ただいま」という声が流れる。
ふりむいた女優がニッコリと微笑むだけで音は無い。
コマーシャルは衒いが無くていいと好評だった。
社では長期的にこの路線で行くことも決定した。

しばらくしてY子はTとSから食事に誘われた。
お礼がしたいという申し入れにY子は首をかしげたが受け入れた。
小奇麗なレストランに席が設けられていた。
最初のいきさつからすべてがY子に語られた。
Y子はこもごもにお礼を言われてすっかりとまどっていた。
なによりテレビコマーシャルが自分から始まっていることに驚いていた。

一段落してY子が話し出した。
ギスギスした雰囲気に馴染めず前の会社を辞めたこと。
いまの会社に入るときに自分を変えようと考えたこと。
自分に出来ることは自分自身がギスギスしないことだと思ったこと。
まずはどんなときも笑顔から始めようと思ったこと。
だから私の笑顔は作られた笑顔ですと目を伏せた。

黙って聴いていたSが既に自分の笑顔になっていると言った。
特別の感情を持ち始めていたTは大きく頷いた。
困ったような顔をしていたY子に微笑みが戻った。
それだそれだとふたりがY子の顔を指差した。
軽く頭を下げ再び持ち上げた笑顔はY子そのものだった。
ただその微笑みはいつもよりはすこし恥ずかしげだった。

Y子を帰してTとSは行きつけの居酒屋へ向かった。
今日は心が晴々しているから飲み直そうと一致した。
コマーシャルの成功で営業もしやすくなったTはSに礼を言った。
SはTのお陰で企画ができたとふたりで何度も乾杯した。
店主がニコニコしながら何かいいことありましたねと訊ねた。
ふたりは何も言わず笑顔で店主に向かってコップをかざした。

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